第3章『跼む』29夜
『ムーブメント』に到着すると、凜花さんはまだ来ていなかった。
私は身支度を整え、凜花さんを待った。1分1秒がとても長く感じられる。
手持無沙汰もあって、姿見の前にもう一度立って変なところがないかチェックしてみる。
髪型は昼間に行った美容院でセットしてもらったので、そのままでいることにした。
メイクだけしてもらって、ドレスは水色のベアトップミニワンピドレスを着てみた。
ドレスはやっぱり私をお姫様に変えてくれる。
マッチ売りのお姫様だけど、それでも気持ちが高揚してくるのがわかる。
と、その時、
「さっきから何度も鏡見て、どんだけナルシー?超ウケるんですけど、つか、ウザい」
と冷たい笑い声がした。
振り向いて小さな控室を見回すとまみりんと何人かの女の子たちがいた。
声の持ち主はまみりんだと分かった。
私は恥ずかしくて俯きそうになったけど、まみりんに突っかかられるのも笑われるのも嫌なので、怒らせないように、逆にへりくだって言った。
「すみません。私、そんなにスタイル良くないし、皆さんみたいな綺麗な立ち居振る舞いが出来なくて、どうやったら、皆さんみたいに素敵になれるか研究しちゃってました。今日、私、大丈夫ですか?」
と、そこへ、
「大丈夫だよー!瑠璃果ちゃん、超可愛いよ!」と助け船を出してくれたのは凜花さんではなく、愛梨さんさんだった。
すると、すぐにまみりんも
「そんなこと気にしなくて大丈夫!大丈夫!」
と顔つきがにこやかになった。
ひょえーーー!この豹変ぶり!恐ろしやー!と心の中で思ったけど、私は「ありがとうございます」と頭を下げた。
もうすぐ20時になる。凜花さんはまだ来ない。不安で息がつまりそうだ。
思わずケータイを覗く。凜花さんからメールが来ていた。
『本日、残業により22時出勤なり』
それだけだった。
私は赤ずきんちゃんに出てくるオオカミの最後のシーンみたいに石でも詰められたかのように胃袋がズーンと重くなり、帰りたくて泣きそうになった。
22時までひとりなんて!しかも、鈴木さんのアフターの件については、一切なんのアドバイスもない!
私は2行だけの、ある意味、凜花さんっぽいメールを恨めしく睨んだ。
仕方がない。腹を括るしかないんだ。
髪型を変えたことで舞い上がっていたけど、鈴木さんのメールだって自分で処理しなくちゃいけないんだ。
それこそ、サルじゃあるまいし、なんでもかんでも凜花さんに頼ってちゃ、いつまでも経っても成長しない。自分でお客様との距離を掴むことも勉強しなくちゃと思った。
私はLINEのトーク画面を出すと鈴木さんにメールした。
『お疲れ様です。今夜とっても楽しみです。わざわざ美容院まで行って髪型も変えたんですよ。是非見てもらいたいな。ただ、もしかしたら、女の子足りなくてラストまでやることになるかもしれません。まだ、どっちかわからないんだけど、そのときはごめんなさい。とにかく、待ってますね』
この内容なら、来てくれるだろうし、アフターにも行かなくて済む。と思った。
いざとなったら店長に頼んで、ラストまでやらせてもらえばいい。さすがに、鈴木さんもラストまで粘る気力もお金もないだろう。
と思ったら、またすぐに返信が来た。
「じゃあ、終電上がりか、ラストまでか、わかったら何時でもいいからメールしてください。その頃に会いに行きます!髪型、楽しみだよ!」
こ、これはかなり、しつこい!と、ドン引きしたけれど、自分の送ったメールもちょっと気を引きすぎたかなと反省した。
やっぱり、お客様との丁度いい駆け引きなんて、私には少し早かったかも。
ええい、なるようになれだ!と私はケータイをオフにした。
画面から光が消え、ディスプレイが黒くなる。
そこに、自分の顔が写り込んだ。
とにかく、やるしかない。頑張るしかないんだ。私は私の出来ることを精一杯するだけだ。
私は愛梨さんやまみりんたちに向き直り、
「今日も、よろしくお願いします」
ともう一度お辞儀をした。